クリニクラウンへの最初の一歩 らが~の道のりをたどる①
取材・文 塚本真美
病院に訪問して「こども時間」を届け続けるクリニクラウンたち。彼らの病院訪問までの道のりはどのようなものなのか。そんな疑問をクリニクラウンの研修中(※1)の“らが~”こと中西良介さんにお話をお伺いしました。
「ずっと知ってた」クリニクラウンのこと
障がい児・者 総合福祉施設、住宅型有料老人ホーム、放課後等デイサービス施設、”ノーサイド”を運営する中西さん。ときにはこどもたちの病院にも付き添うことがあるそうです。「病院の付き添いの時に初めてクリニクラウンの事を知ったんやと思います。どのくらい前かは忘れましたけど……」と一生懸命に記憶を探りながら、なるべく正確に答えようとする姿がとても印象的でした。
クリニクラウンはこどもたちだけでなく、支援している自分たちにもありがたい存在だとは思っていても、「クリニクラウンになりたいと思ったことはなかった」と言います。
「僕の大きな目標」に近づくために
クリニクラウンに応募する最初のきっかけは、2018年「公益財団法人難病とその家族へ夢を」から大阪マラソンのチャリティランナーとして出場したとき、同じ黄色組の寄付団体だった日本クリニクラウン協会の熊谷恵利子さんからクリニクラウンの募集チラシを受け取ったそうです。しかし、当時は「へぇー」と思った程度で、「今すぐ応募しよう!」と思ったわけではなかったようです。
どれだけ広く障がい児・者支援をしようと思っても、自分の施設に来ているこどもしか支援できない。施設の運営も経験し、ヘルパーという仕事にも15年携わってやっていて、大きく変われることがなくなってきたように思えてきた時、「何かに挑戦したい」、「何かを学びたい」、「違う側面から子どもたちと関われること」、など様々なことを中西さんは考えていていました。
そんな中で「日本中の重度障がいのこどもたちを支援したい」と思っている事と「クリニクラウンになること」が自分の大きな目標に向かっていける生き方の道筋なのではないかと思うようになったそうです。
期待とワクワクがいっぱいの合格通知
「クリニクラウンのオーディションの合格のお知らせをもらった時は、めちゃめちゃ嬉しかったですね」とその時の気持ちを思い出して満面の笑みを浮かべる中西さん。
第一次オーディションでは、クリニクラウンの模擬トレーニングを体験。レクレーションやゲームをしながら、即興で全身をつかって表現していき、なぜこのトレーニングをクリニクラウンがするのかの説明もその時に行われれます。やったことのない事に合格したときは本当に嬉しかったそうです。第二次オーディションの自由表現や面接を経て「合格です。研修に来てください」と言われた時はとても新鮮な気持ちになったそうです。なぜなら、会社の経営者である中西さんは、誰かに審査されたり、ましてや研修を受けることはまずないからです。そういう経験もすごく良かったと話されていました。
合格の連絡をもらってからは「何を教えてもらえんねんやろ」と研修初日まで過ごしていたそうです。
しかしいざ、始まった研修は、中西さんの想像と全く違っていました。
「今やったら、半年前の自分に、“お前自分のこと見直しといたほうがええで”って言ってやりますわ」と大変だった時を経験した中西さんは笑顔で話されていました。
こんなはずじゃなかった
「なめてましたね。こどもの気持ちもわかるし、(どんなことするかも)だいたいわかるし、こんな感じかなって思ってたから。何を教えてくれるんやろ?ぐらいの気持ちで研修に行ったんで。」
しかし研修が始まると、思っていた研修との違いに愕然とする日々だったそうです。訪問をするときの技術的なところを教えてくれるのかなと思って参加していたのです。でもそうじゃなかった。研修は、「自分をみつめる」、「自分を表現する」、「感覚を研ぎ澄ます」「相手を感じる」「呼びかけに対する感じ方を体感する」、「即興的な動き」、「病院での場面を想定した表現」など多岐にわたっていて、それは”教えてもらう”ではなく、”今、自分にあるものを表に出す”というものでした。
自分の想像との違いに初回から4回目くらいまではとても辛い思いだったとその時を振り返り彼は言います。
「まさかこんなに大変になると思ってなかった」
何がそんなに大変な研修なのか…..
中西さんにとって大変だったのは“自分を見つめなおす”というトレーニングだったそうです。「僕には僕のやりたい福祉があって、それに正義感ももってやってきた。だけど、事業を安定して運営できるようになると“こうあるべき”に応えなければいけなくなっていた。」と振り返ります。
事業を長く運営される中で、「人の期待に応えることを優先するあまり、自分を押し殺す事が多くなっていった。」他人の気持ちばかり考えていて自分の気持ちがどこかわからなくなっていていた日々を振り返り中西さんはそう話されました。
この「会社や事業を運営する『自分』、クリニクラウンの研修ではいちばんダメなやつだった」と中西さんは言います。研修で自分を表現するたびに「自分の気持ちに嘘をついていない?」「自分の思った感情は、本当はそうじゃないよね」と指摘される。
「僕のやってきた15年は間違えてない。自分の気持ちに正直にやってたら会社潰れてるわ」と思う一方で、その指摘に納得する自分もいました。そんな時にもらった先輩クラウンからの言葉。
「あんた、大変やで。何が正解なのか…いろんな事いっぱい考える。だから素直な気持ちで学んでいきなさい。もっと自分をほめなさい。」
自分を表現することの難しさを感じ、その壁にぶち当たっていたさなかに気づいたこと。それは、相手の気持ちや正解ばかりを考えていて、その瞬間の素直な気持ちに向き合えていなかったこと。まずは、自分の気持ちと向き合い、今の感じたことを素直に表現する。そして、素直になれた時にはちゃんと褒めてあげる。自分で自分を褒める、受け入れるってことは、中西さんにとってすごく難しかったそうです。しかし、この研修をとおして、自分という立ち位置をあらためて考えるきっかけになった。そういう思いを届けてくれた先輩に助けられたとも話されていました。
辛いながらも自分と真正面から向き合いながら答えを探し続けた中西さん。
まだまだ研修は続きます。
(※1)インタビュー当時は研修生でしたが、2019年11月10日にクリニクラウンに認定されました!おめでとうございます!!
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中西良介
生まれも育ちも大阪府東大阪市。
座右の銘は「そりゃ嫌なことも辛いこともあるけど、みんなで楽しくすごそうや(^o^)丿」
ヘルパー歴16年。16年前に重症心身障がい児と出会い、支援の数も種類も少ない環境を改善したいと思い無いなら自分で作ろうと起業。 現在は、東大阪市を中心に障がい児者を支援する事業を行っている株式会社ノーサイドの代表取締役。
日本中の重症心身障がい児と出会いたいと思った事がキッカケで、クリニクラウンの選考会に挑戦。2019年11月に認定を受け、クリニクラウンとして入院中のこどもたちへこども時間を届けている。
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<ライタープロフィール>
塚本真美
1977年大阪府堺市生まれ、堺市育ち。2000年春、社会人になる時に内側からNPOを支える存在ではなく、外側から支えられる存在になろうと考える。様々な職を転々としながら、NPOの色んな活動に参加し暗中模索の20年を過ごす。そんな中でこの「つながる編集教室」に出会う。書くこと、伝えることを学び社会に貢献する一助になればと応募し現在に至る。まだまだ旅の途中。