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病気や障害を抱えるこどもや家族への関心を高めるWEBメディア

クリニクラウンジャーナル

歳を重ねるごとに豊かな“栄養素”になって“恩”を循環させたい。クリニクラウンのお母さん的存在、トンちゃんが語る次世代への思い。

病と闘う子どもたちに「こども時間」を届けるクリニクラウン。“トンちゃん”こと石井裕子さんは、そんなクリニクラウンたちのお母さん的存在です。日本クリニクラウン協会の理事を務めながら、現役のクリニクラウンとして病院訪問も続けています。

今回のインタビューでは、石井さんがクリニクラウンの活動をするまでに至った経緯についてお聞きしました。

「不思議!なんでだろう?」を追いかけてアメリカへ

石井さんが、病院でケアを行う「ケアリングクラウン」の存在を知ったのは1999年のこと。衛生放送の番組で、アメリカで病院訪問をするケアリングクラウンの姿を見たときでした。ケアリングクラウンと関わることで、寝たきりの人が変化していくのを目の当たりにしたとき「不思議、なんでだろう」という感情が湧いたそうです。

翌年、石井さんはアメリカの大学の夏期講座に参加、その後5年間をかけてアメリカでケアリングクラウンになるために学ぶこととなりました。

そこでの体験を彼女はこう話します。

「学べば学ぶほどすごい奥が深くて。これは私自身が今後の人生を過ごしていく中で最後まで学べることだと感じました、人をケアすることで、自分もケアされます。それから身近な人たちに相談されたときにも、クラウンの手法を用いてコミュニケーションをとるようになりました。

やればやるほど、いろいろな人に出会いますし、いろいろな人を受け入れられている自分に気づかされます。やることやることすべて違うというところが私にとって面白みになります。

石井さんは、何歳になっても人から学び、そのことを通して人生を豊かにしていくことに魅力を感じているようです。また、「ずっと同じことをやるのは苦手で常に新しいものと出会いたい」という、新鮮さを求める石井さんの性格が、一つひとつの出会いをいっそう素敵なものとしているのだと思います。

オランダで「赤い鼻があればいいんだよ」と言われて

ケアリングクラウンとして活動を始めて数年が経ったころまた新たな出会いが訪れます。 大阪のオランダ領事館から「クリニクラウンを紹介したい」と連絡が入ったのです。

「すごい!」と喜んだ石井さんは「協力できることはなんでもします」と答え、日本クリニクラウン協会設立最初のメンバーとなりました。そしてクリニクラウン発祥の地・オランダでの学びが始まりました。

それは、石井さんが学んできたアメリカ式とは違う、クリニクラウンとの出会いでした。

「私は最初、アメリカで勉強しましたから、アメリカ的なヘアカラーやメイクをしていたんです。ところがオランダでは、「トンちゃん、何もいらないよ。この赤い鼻があれば、トンちゃんはトンちゃんのままでいいんだよ」と言われ、すっと自分の中でやっと自分らしいクラウンの形で活動できると感じました」。

“赤い鼻があればいい”というのは、オランダのクリニクラウンは小児病棟が専門だということも理由のひとつ。「メイクした顔を子どもが怖がる」「化粧がカーテンに付く」などを避けるためでもあります。

しかし、一番の理由は、“その人の本当のキャラクターで活動をする”ということを重視しているからです。まずは、クリニクラウン自身が自分の個性や内面を表現することで、子どもたちも“自分を出す”ことができます。また、子どもたちは自分に合うクラウンといるときの方が“自分を出す”ことができるのだそうです。

「例えば、いつも隅の方にいる引っ込み思案な子どもは、元気いっぱいのクリニクラウンには近寄れないこともあります。でも、おとなしいクリニクラウンが来たときは一緒にいられたりする。いろんなクリニクラウンがいることが子どもたちにとっても必要なことなんです」。

さらに、トンちゃんは次のように話します。

「クリニクラウンは、けっこう楽しげで派手な感じがするけど、すごく奥深いし実は地味でもあります。コツコツ積み上げてきた自分の生きざまも、それぞれのクリニクラウンによって違うから相性も違う。人によっては「このクリニクラウン苦手だわ」というのがあっていいんです」。

石井さんがケアリングクラウン、そしてクリニクラウンとして活動を始めてもう20年。さまざまな経験を経て、これからはどんな風に活動していきたいと思っているのでしょうか。

自分をどんどん豊かにして、自分と周りの人の人生をハッピーにしてほしい

インタビューの中で、石井さんが話してくれたある思春期の少女たちとの関わりがとても印象的でした

思春期特有の「私には関係ない」という態度をとる少女たち。「こんにちは」と話しかけても無視をします。そこで、石井さんは「ハロー」と英語で声をかけてみました。やっぱり駄目でしたが、あきらめずに、ドイツ語、中国語といろんな言語を駆使して挨拶すると、少女たちは耳をふさいでいました。「もしかして、耳が聞こえないのかな?」と不安になっていた石井さんは、「よかった!聞こえているんだ」とにっこり。
別れのとき、石井さんは看護師に呼び止められました。「あの子たち、辞書で調べたドイツ語で『またね』って書いていますよ。」と。石井さんのために辞書まで引いて、メッセージをくれた少女たちに、石井さんも「ダンケッ!」とドイツ語でお礼を言ったそうです。

「クリニクラウンがいろんな形で工夫をすると、思春期の子どもたちも『私のことを思ってくれているんだ』と感じてくれます。

自分がオープンマインドにならないと、相手も心を開いてくれません。クリニクラウンにはそれくらいの気持ちは必要なのではないかと思う。」。

次世代を担う、若いクリニクラウンへの思いについても聞かせていただきました。
石井さんは「本当に頑張ってくれていると思う」と話します。

「きっと、自分たちのやっていることを再認識することを通して、変われることもあると思うんです。協会全体で見たとき、クリニクラウンには病院訪問だけでなく啓発活動や、情報発信など、自分の不得手な仕事もいっぱいあります。自分の得意なことはどんどん伸ばしていく、不得手なことについても少し努力する。その積み重ねですごく幅が広がります」。

日本クリニクラウン協会は設立10周年を迎えたとき、日本がオランダからクリニクラウンを紹介してもらったように、「日本もクリニクラウンの文化がまだないアジアの国々に紹介していこう」とタイと韓国を訪問しました。

「自分がしてもらった“恩”を今度は自分から他の人たちに“恩送り”していこう」という思い。石井さんの言葉には、若いクリニクラウンたちに、クリニクラウンの活動だけではなく、もっと大きな「循環」を感じてほしいという思いが込められていました。

「血液が止まると死んでしまうということと同じで、自分が「ここまででいい」と思ってしまうとその“循環”は止まってしまいます。自分の得手不得手を確認しながら、歳を重ねるなかでうんと豊かな栄養素になってほしい。まずは自分を愛せるようになってほしいですし、そうすることで人に対する優しさや豊かな人間愛を出せるんじゃないかなと思うんです。この循環の中で、自分の人生だけでなく周りの人の人生がハッピーになります。若い人たちにはそうしていってほしいです」。

周りの人をハッピーにするには、まずは自分を愛せるようになること。とてもシンプルだけど実は難しいのかもしれません。日々の中で起きる些細な出来事の一つ一つについて「恩送り」を意識することから、石井さんが話してくれた「大きな循環」が始まっていくのかもしれません。

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石井裕子
1949年生まれ。島根県出身。
2000年にアメリカのクラウンキャンプにてケアリングクラウンを受講。その奥深さに興味を持ち続け、その後日本クリニクラウン協会設立委員として、2005年にクリニクラウンの研修をオランダで受ける。2005年10月の法人設立当初より、クリニクラウン養成トレーナーを担当。2013年に理事に就任。現在クリニクラウントレーナーとして事業を統括し、日々ワクワクドキドキに心を踊らせながらクリニクラウンとして全国の小児病棟を訪問している。また、学会や医療・福祉・教育の分野で講演会・研修会の講師も務めている。
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<ライタープロフィール>
西川陽介 1990年生まれ
大学卒業後、ソフトウェアメーカーにて営業職を経験、その中で私生活と仕事に対する様々な苦悩、自身の生い立ちやその悩み、学びから社会に何ができるかに迷い、かねてより興味のあったメンタルヘルス、発達心理に係る活動がしたいと考え退職、その後福祉施設にて支援員に従事そして退職、日々感じる違和感を取り除いていけたらと手探りで勉強中。クリニクラウンに興味を持ったきっかけは、「すべてのこどもにこども時間を」という標語に共感を覚えた為、また自身の活動の参考になれば、及びお力添えできることがあればと思ったため。