厳しい練習を重ねてきたからこそ 「頑張らなくていいんだよ」 という言葉を言える 。 パントマイミスト×クリニクラウンーかずぅ
21歳で 芝居を はじめ、25歳で セリフも小道具もなく 身体表現だけで演じる「上海太郎」の一人芝居に 魅せられた 白木原一仁さん。 俳優として、パントマイミストとして、時には講師として指導も行う “旬な”役者さんです。
そして、クリニクラウン”かずぅ”としても活躍中。
今回のインタビューでは、クリニクラウンの”かずぅ”としての側面を中心にお話を伺いました。
きっかけは偶然の出会いから
パントマイムという言葉のない身体表現の世界で精進してきた彼が、クリニクラウンになった背景には、こどもの頃の体験と偶然の出逢いがありました。
「こどもの頃は病気がちで入院したこともあって、同年代のこども達と普通にふれあいにくい時期があったんです。お芝居の仕事先で、チャリティイベント「RED NOSE DAY with CIiniClown 」とクリニクラウンの活動を偶然知って、小児科病棟のこどもたちのサポートと笑顔を届ける活動にすごく魅力を感じました。
たまたま仕事先で一緒になった先輩クリニクラウンに教わって、クリニクラウンのオーディションに参加することにしました。
頑張らなくていいよ 、これでいいんだよ
芝居と音楽活動 、パントマイム、 企画指導、 そしてクリニクラウンの活動……。白木原さんの毎日はとても多忙です。しかし彼はどんなに忙しくても病院へ笑顔を届けに行きます。自分の気持ちを切り替え 常に新鮮な気持ちをもって、笑顔で病院を訪問しているのです。
「自分の体験上、 入院しているこどもは頑張りすぎたり 大人びたりしがちだと思うんです。 だから嫌な顔やワガママな姿を見せても全然構わなくて、むしろ 『これでいいんだよ。頑張らなくてもいいんだよ 』って伝えたいんです」。
パントマイムは“見せるために動かない”ことが大事だとも。言葉もない、小道具もない状態で表現するには、並々ならない訓練と努力を重ねてきたはずです。
誰よりも頑張り続けることの大切さと、それと背中合わせの苦労を知っているからこそ、こどもの思いや家族の気持ちに寄り添えるのだと思います。
「こどもは命のメッセージだと思うんです。どんな状況にあっても、一番エネルギーを持って輝いているはず。そして、その子らしく輝かせてあげること、支えることが大人の仕事だと思うんです。」
白木原さんはまっすぐな言葉でこどもたちへの思いを語ります。その言葉はキラキラ輝いているように感じられました。
「こどもたちとその親御さんがニコッとなるきっかけを笑って作ることで、クリニクラウンの仕事が始まる。本当に気楽になれる、解放された時間を感じてほしい」。
☆ これから クリニクラウンを目指す人へ
最後に白木原さんにこれからクリニクラウンを目指す人へのメッセージをたずねてみました。
「とにかくクリニクラウンの活動を広げていきたいですね。そして、こども時間への かけはしとして楽しみながら一緒にやって行ける人を待ち望んでいます。 」
笑顔を絶やすことなく、どんな質問にも丁寧に答える姿には、パントマイミストとして精進してきた彼の生き方が現れているようです。白木原さんはどんな暗闇や夜空にも周りを照らしつつみこむ星のように輝くクリニクラウンなのです。
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白木原 達仁
1973年生まれ。大阪府出身。
音楽一家の長男として生まれ、自然と音楽に触れる幼少期を過ごす。現在もベースを担当しバンド活動を続ける。21歳で演劇活動を始め、上海太郎舞踏公司(現 上海太郎カンパニー)に入団。上海太郎よりパントマイムとダンスを師事。退団以降パントマイムなどの身体表現を軸に、舞台やテーマパークへの出演やゲームのモーションアクターをする中でクリニクラウンの活動を知り挑戦。2017年3月にクリニクラウンの認定を受け、クリニクラウン“かずぅ”として全国の小児科へ訪問している。
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<ライタープロフィール>
隅野友紀 すみのゆき
北海道小樽市に生まれる。その後、東京世田谷区、中野区、新潟、西宮、宝塚、岐阜、大東、東大阪、宝塚など転居の多い人生を送る。見知らぬ所で初めての方とでも話しかける性格が培われた。ピアノ、バレエ、油絵、日舞を学び、神戸女学院大学家政学部児童学科卒業。卒業後、芦屋市立幼稚園に幼稚園教諭として勤務。その後母校で臨床心理学教室の助手を勤めたあと、名古屋大学、甲南大学で研究生。保健所の心理判定員、コオロギピアノ教室主宰を経て、幼児教室指導員(16年)。指導のモットーは誉めて認めて励まして❤現在も三才から小学三年生まで指導をしています。
2014年に脊髄炎から歩行不能になり2015年多発性硬化症の診断を受ける。
リハビリと家族、ママ友のおかげで、杖なし歩行となり仕事にも復帰。クリニクララウンの初期研修をを受ける機会をえたことからクリニクララウンのサポートをしたいと編集教室に参加。家族、自分の入院も多い経験からクリニクララウンがもっとたくさんの病院に行けるようと願っています。
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