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病気や障害を抱えるこどもや家族への関心を高めるWEBメディア

クリニクラウンジャーナル

ライターボランティアとして、「誰かのために何かしたくなる」一歩を踏み出してほしい

文・林優里

クリニクラウンジャーナルは、日本クリニクラウン協会が創刊するあたらしいWebメディア。私達が関わっている、病気や障害を抱えるこどもたちや家族のことをもっと知ってもらい、そして記事を読んだ皆さんにも「誰かのために何かしたくなる」一歩を踏み出してもらえるような記事をお届けしたいと思っています。

そんなクリニクラウンジャーナルの創刊に関わったライターの杉本恭子さん、大阪ボランティア協会の梅田純平さん、日本クリニクラウン協会の熊谷恵利子さん、そしてこの

記事を書いている私、林優里の4人で対談を行い、企画を振り返ってみました。

すべては”1本の電話”からはじまった

林「クリニクラウンジャーナルの始まりとして、ライターボランティア育成講座のつながる編集教室』がありましたよね。これらの企画の始まりから振り返ってみたいと思います。」

梅田:「始まりは、大阪ボランティア協会への1本の電話でした。武田薬品工業株式会社から『関西にも輪を広げ、保健医療分野の市民活動団体を対象とした組織基盤強化を行いたい』というタケダNPOサポートプログラム(※1)の相談を受け、それから具体的にプロジェクトが動き出し、支援団体の一つとして、日本クリニクラウン協会が選ばれ、僕が担当となりました。」

熊谷:「プロジェクトの企画を考える前に、梅田さんやスタッフと一緒に、まずは日本クリニクラウン協会が抱える課題の洗い出しをしました。その中で見えてきたことは、日本クリニクラウン協会の認知度の低さ。そして、ボランティアさんが参加する機会が少なく、なかなか協会とつながる接点がなかったことです。」

梅田:「この課題解決に向けて何が出来るか、と考えた時に『誰かの手を借りる』という仕組みをつくれば、さらに進めるのではないかと話合いました。」

熊谷:「この企画会議でも、梅田さんという第3者の意見が入る事によって、メンバー同士の意思疎通がすごく深まっていって、共通認識できていることに、「それってどういうこと?」って聞かれて、すごくはっとさせられたのです。

ボランティアなどの第3者と話し合うことは、負担が増えるのではなく、面白いと感じました。この経験から、誰かと一緒に活動をすることは、仲間が増えていくことなのだと体感できたことが大きかったです。そして、第3者だからこそ、素朴な疑問とか、企画に対してのアイデアも言えるのだなと。」

梅田「その意見を聞いて、協会が求めている情報の発信ボランティアの育成をテーマに掲げて、具体的なプログラムの企画を進めて行きました。」

成長の時期だから、仲間を増やしたい

熊谷:「この13年間を振り返ると、今まで日本になかった活動だからこそ誤解を生んではいけないとか、医療現場だから、と発信に関して消極的になっていた面もありました。

でも、今、成長の時期が来ているのかなって思っていて。次のステップに進むにはいろいろな人の力が必要ですし、そのためには私たちの活動に共感をしてもらうことがすごく重要なのだということをスタッフ全員が理解し始めました。

クリニクラウンが活動している病院現場は、支援者の方々は見ることができません。だからこそ私達は、どのように説明責任を果たしていくのかを模索して、よりよい形で発信できるものを見つけたかったのです。」

梅田:「企画のミッションのひとつは、クリニクラウンを巻き込むことでした。クリニクラウンが自分達のやっていることの価値をもう一度見出して、次のステップに進んでいけるようにしたいと思ったのです。

入院中のこどもたちの状況、こどもと関わる中で大事にしていること、が周りに伝わらずに、現場だけで完結してしまっている。これはとてももったいないことですよね。クリニクラウンこそが大切な情報資源であるということも発信したかった。」

「会いに来たよ!」クリニクラウンは、こどもや家族の状況に合わせて関わり方をかえていき、こどもたちがこどもらしく過ごせる「こども時間」を届けています。

熊谷:「クリニクラウンって話すのは得意なのだけど文章書くのが苦手なんです。それなら、書くことが大好きな人に手伝ってもらえたらいいよねという話から、病気や障害を抱えるこどもを支援するライターボランティアの育成を思いつきました。

団体としては、自分たちのことを伝えてもらえるとうれしいし、ライターボランティアさんにとっても自分の書いた記事が発信されるのはうれしい。、団体もライターボランティアさんも、たくさんの人に読んでもらいたくなる記事をつくれたら、みんなに紹介したくなるから情報発信という部分でもすごく広がるかもって。

また、協会スタッフの情報発信だと、いつも同じ人の発信になってしまいますが、いろいろなライターボランティアさんが記事を書いてくれるほうが、いろいろな人に響くのじゃないかなぁって。」

『書く』ことでつながるしくみをつくる

熊谷「企画の概要ができた時点で、誰と一緒に進めていきたいかを考えました。そのとき以前何度かインタビューをしてくれた杉本さんが浮かんだんですね。インタビューを受けて、書かれた記事を読んだ後から、杉本さんとは何か一緒にしたいと思っていて。偶然にも、ライターの育成をしているということを知って、すぐに今回の企画について相談してみました。

そして、話合いを重ね、「つながる編集教室」という、記事の書き方の基礎からインタビューのやり方を学び記事を書くことを目指すライターボランティア育成講座が誕生しました。」

つながる編集教室は、ライターである講師の杉本さんから、インタビューや記事執筆の基本を講座形式で学び、インタビューの記事を書くプログラム。ライターボランティアのみなさんも、真剣です。

杉本「林さんは実際に講座の中でインタビューされていましたよね。インタビューを受けた側としてはどんな思いを持ちましたか。」

林:「取材をしてくれたライターボランティアさんが、クリニクラウンをもっと知りたい、伝えたいと思ってインタビューをしているのを感じ、今、目の前で熱心に話を聞いてくれて、もっともっと自分のことを伝えたい!と思いました。どう伝えたら相手はもっと分かってくれるのだろうと一生懸命考えるきっかけになり、改めて自分のやっていることを見つめなおして伝えることが大事だと感じました。インタビューを受けることで、クリニクラウンとしての経験がより心に深く刻まれたと思います。」

講座でしっかり学んだことを生かして、実際にクリニクラウンにインタビュー。

クリニクラウンの魅力や想いが溢れるインタビューとなりました。

熊谷「インタビュー記事って、読み手を意識したインタビューをする人とされるの2人でつくられていて、両者の想いがすごく近いところで共鳴してできているのだなと。記事を読むとふたりの想いが伝わってきてすごくうれしかったです。」

杉本:「私は熊谷さんに取材をするご縁があったから、今回の企画のお話をいただいて一緒に活動することになりました。今度は、この講座を受けたライターボランティアさんが、また私と同じように日本クリニクラウン協会のことを考えようとしている。『書く』事で生まれる循環がすごく面白いなって思っています。ライターとして、一つの団体に密着して関わることから生まれる、可能性を感じました。」

講座の最終日には記事発表会を開催。ライターボランティア本人が書いた記事を朗読。朗読することで、文字で読む以上に書き手の想いが伝わってくる。そんな発見がありました。

林:「ライターボランティアさんの大半がインタビュー記事を書くのが初めてでしたよね。それが、こんなにも想いを持ってインタビュー記事を書けたのも、杉本さんのサポートのおかげだと思います。書き手の想いをくみ取りながら添削してくださり、記事がどんどん読みやすくなっていくのがとても印象的でした!ライターさんにとっても、自分の想いを形にする過程が学べる貴重な経験になったのではないかな。」

梅田「ボランティアってやっぱりすごい!こんなに関わる団体のことについてたくさん考えて主体性を持って関わって、自分事として形にして活動をしていこうっていう力や姿勢は毎回すごい!と思いますよ。」

講座の中で、日本クリニクラウン協会の課題をとらえるヒアリングを行い、課題解決につながる記事を企画するための編集会議を実施。どうしたらもっとクリニクラウンの活動がたくさんの人に伝わるだろうと真剣に考え、とっても熱のこもったディスカッションがライターボランティア同士で交わされました。

熊谷:「インタビュー記事って形に残るからみんなの財産ですよね。クリニクラウンの活動を通して入院中のこどもたちや家族のことを知ってほしい。そして、クリニクラウンや協会と関わった人たちがみんなHAPPYになる瞬間を、もっといろんな人に届けたい。そんな想いでクリニクラウンジャーナルというWEBメディアを誕生させました。そして記事を読んだ人がライターボランティアさんみたいに『誰かのためになにかしたくなる』、初めの一歩を踏み出すことのきっかけになればいいなと思っています。」

私はこのプロジェクトを通して、日本クリニクラウン協会にはたくさんの『仲間』がいることに改めて気付かされました。

クリニクラウンジャーナルでは、ライターボランティアさんが想いを込めて書いた、日本クリニクラウン協会に関わる人たちへのインタビュー記事をどんどんアップしていく予定です。ひとりひとりの熱い想いが記事に溢れ出ています。今後をお楽しみに。

講座を受講したライターボランティアのみなさま。
こんなにもたくさんの『仲間』とつながることができました!
それぞれの熱い想いのこもったインタビュー記事をお楽しみに!

そして、もっともっとつながりを増やしていって、たくさんの『仲間』と一緒に活動していきたい。もし、文章を書くことが好きで、クリニクラウンジャーナルで記事を書いてみたいな、と思ったなら、年6回開催している編集会議にまずは見学にお越しください。そして一緒に活動したい!と思っていただけたら、クリニクラウンの活動をより知ってもらうために、クリニクラウンへのインタビューを予定しています。個性豊かなクリニクラウンが活動にかけるそれぞれの想いを、ぜひ自分の言葉で発信してみてください。

それ以外にもイベントへの参加や応援など、さまざまな方法で日本クリニクラウン協会を応援していただけることで、私達の活動の原動力となります。

この記事も初めの一歩を踏み出すきっかけになればいいなと願っております。

※1 タケダNPOサポートプログラムとは…

関西に拠点を置く保健医療分野の市民活動団体が、組織基盤強化に繋がるファンドレイジング力およびファンドレイジングに繋がる広報力等の力を付け、さらにネットワークづくりなどを通して、新たな人材の発掘(育てる力)やコーディネート力(巻き込む力)を付けるとともに、分野の共通の課題や活動に取り組む心得などを抽出し、それらを広げることによって、関西の保健医療分野に取り組む市民活動団体全体の力量アップと新たに活動に取り組む団体を増やし、分野全体の底上げを目指すプログラム。

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杉本 恭子
大阪生まれ、京都在住。
同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業。
「小さいメディアが無数にできて世の中を変えていく」という未来を信じて
東京でオンラインメディアやオンデマンド書籍づくりを経験。
京都に戻って独立後は、インタビューを中心に執筆活動をしています。
greenz.jpでは、日本クリニクラウン協会の記事も執筆。

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梅田 純平
((社福)大阪ボランティア協会)
学生時代に大阪ボランティア協会で活動した後、障害者自立支援センターに勤務。5年務めた後、2007年に大阪ボランティア協会に入職。現在、NPOの運営相談などを担当し年間100件超の相談対応を行う。

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熊谷 恵利子
1975年生まれ 神戸市在住
日本で初めて養成された認定クリニクラウンの一人として設立当初から活動を開始。
2009年度より事務局スタッフを兼務。現在、啓発事業として医療・教育関係者対象のコミュニケーション研修などの講師を務めるとともに、養成・派遣事業の業務などを担当し、後進の育成や協会の組織基盤を強化するために奔走している。

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林 優里
1989年生まれ。大阪府出身。
高校生の頃から、人間の発達や生き方に興味を持ち、立命館大学産業社会学部で、こどもの発達に関わる人間関係や環境について学ぶ。福祉施設に就職し、障害を持つ方々と関わり、コミュニケーションの多様さや共感力の大切さを実感する。
2016年3月にクリニクラウンの認定を受け、入院中のこどもたちのコミュニケーションの可能性を広げたいと、全国の小児病棟へ訪問。2018年4月より協会事務局スタッフを兼務。全国の訪問病院と連携をとりながらクリニクラウンの病院派遣事業を担当している。

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