僕が人を楽しませたり♪笑わせたりしながら、 個人と向き合う仕事がしたい理由。 クリニクラウン・むっく
みなさんは『パッチ・アダムス』(1998年公開)という映画をご存知ですか?
実在する、アメリカのクラウン・ドクターをロビン・ウィリアムスが演じて、話題作となりました。
“むっく”こと田中裕二さんは、この映画がきっかけとなり、介護・医療の道を進み10年前、2008年にクリニクラウンの認定を受けました。
「その映画には、一時期うつ病になった主人公が精神病棟に入院し、同室の患者さんと“笑い”をとおして心が通じ合わせる場面があって。『笑いの力はすごいんじゃないか!心の病気もちょっと緩和できたりするんじゃないか!』そんな風に感じたんです。
そして、エンディングでパッチ・アダムスは実際に実在している人だったことがわかって、『こんなすごい人がおるんや!』と感動し、人を支援したい!と介護の道に進んだんです」。
当時20歳。建築作業員やバーテンダーの仕事をしていた田中さんは、まったく異なる世界へと飛び込みました。
「笑いのスパイス」がコミュニケーションを楽にする
介護の仕事を始めた頃は、患者さんとのコミュニケーションに悩んだこともあったそうです。50歳ぐらいの女性の患者さんに泣かれてしまい「もう、どうしたらこの人とコミュニケーションがとれるのかなぁ」と途方にくれたことも…。
そんなとき、思い出したのは『パッチ・アダムス』の映画でした。
「映画のなかのパッチ・アダムスみたいに面白いことや冗談を言いながら関わってみたんです。するとスムーズにコミュニケーションできるし、関わるのがしんどくない。『笑いのスパイス』はすごく重要だなと実感しました」。
「コミュニケーションをとることで自分自身もすごく楽しい」
「笑いは相手にも伝わっていく」と思えるようになると、「がんばってしゃべろう」「一緒にいなくては」と思わずに、自然体で関わることができるようになったそうです。
「空気を読んでるんだけど空気を読まない」
この経験がクリニクラウンになってからも役に立っているという田中さん。ただ、活動場所が病院ということもあり、難しいこともたくさんあります。たとえば、医療現場であるがゆえに雑談が少なかったり、たまたま職員さんが集中して業務に取り組んでいるとき、病棟全体がしーんと静かなこともあります。
「今は職員さんが集中して仕事をしているのかな?」「大きな声を出したらマズイかな?」と考えていると、空気を読んで「静かに行動しないといけない」と思ってしまいそうになります。でも、田中さんは「本当に静かにしないとダメなのか?」をしっかり考えて行動するようにしているそうです。
「たとえば、申し送りやカンファレンスなどの場合は、たとえクリニクラウンであっても絶対に大きな声を出すのはNGですね。でも、今は大丈夫と感じた場合は、“あえて空気を読まない“という行動に出るんです」。
“むっく”としてのミッションの1つは、常に病棟の雰囲気をより良くすること。ときには、“あえて空気を読まない“で看護師さんやお医者さんに関わることで、病棟の雰囲気が一気にガラリと変わることもあるそうです。
「ユーモアを持って関わることで、仕事中の看護師さんやお医者達は、職業から解放されて“〇〇さん”という1人の人間が垣間見えます。ユーモアに応えるには、職業は関係なく、“その人自身”である必要があるからなんです。その瞬間の積み重ねというのが、病棟の雰囲気をガラリと変える要因の一つだと思っています」。
それでもうまくいかない時もたくさんあります。
今は忙しいと断られた時、ショックとか辛い感情表現はコミカルに明るく「うわー!まじかよ!忙しい時に話しかけてしまった!!ごめんよー。」って。言葉はネガティブでも心はポジティブに、お互いの立場を尊重しています。
いわく「“クラウンは道化、道を化かす”と書いて道とずれたような発想というところをモチーフにしている道化術というのがあるんです」。モチベーションを保つ秘訣は、逆転の発想にあり。人と違うことをしたい思いが自分のエネルギーの源で、自分のやりたいことに向かっているそうです。
「とらえ方で関係性は変わる。大切なのは自分がハッピーであること。」
いろんなこどもとのコミュニケーションについて、どんな風に関わっているのか聴かせていただきました。相手がどんな子であっても、自分の感情を落ち着かせて自分がハッピーであることが一番重要。そうする事で、どんな感情が起きても、受け入れる事ができるんじゃないかなって考えるそうです。
「人によっては『攻撃的な子はあかん』と思う人もいるし、『シャイな子やったらかわいい』と思う人もいるじゃないですか。こっちのとらえ方で関係は変わるんです。叩いてくる子には「叩かないで」とは言うけどその子を嫌いにはなりません。叩いてくる子はさみしかったりとか構ってほしいとかその子なりの背景・理由があると思うんです」。
初めのうちは、クリニクラウンに対して攻撃的だったけど、3〜4ヶ月後には、クリニクラウンの事がすごく好きになって、病棟でも攻撃的な行動が減るということもよくあるそうです。
「一緒なんやなぁ…」という喜びを実感したオランダ訪問
日本クリニクラウンの設立10周年のオランダ訪問について、どうでした?と尋ねると「楽しかったです!(笑)。クリニクラウンをする以上発祥の地には行ってみたかったんです。」と喜々として語る田中さん。本場オランダのクリニクラウンと出会って、その人間味あふれる魅力を肌で感じ、満足して帰ってきたそうです。
「オランダのクリニクラウンの技術はもちろん、どんな人がクリニクラウンをしているのか興味があったんです。行ってみてわかったんですがクリニクラウンをしてる人って日本もオランダも似ているなって。子供と関わる時の表情、伝えようという姿勢、人間味が溢れてて魅力的やなぁって、同じ波長がするなぁって。病気や障害をもっている方対象のテントサーカスの訪問もしたんです。 そこは神聖な場所で一般の方は、入る事の出来ない特別なサーカスで、クリニクラウンが何10人もいて、人形劇をしたり、楽器演奏をしたりいろんなアトラクションをされています」。
研修中に一番印象的だったのは、病院訪問が終わった後の2人組のクリニクラウンに出会ったときだったと、田中さんは話します。
「ぼくは赤鼻を持っていて、ポケットにハーモニカを忍ばせて。そう!コラボ計画です。『こっちに来た、よし』と、ハーモニカでミュージックを吹きました。
そしたらその人たちものってくれて、僕達もダンスをして、時間にしたらたった2、3分なんだけど、セッション、出来たんですよ! その時、「あぁ!一緒なんやなぁ…」って、すごく嬉しかったし、『今までやってきたことが間違いでもなくいろんな人に伝えていける!!』 ってここから僕もグッと変わりました。より自信が持てるようになりましたね」。
田中さんは、元々すごく緊張しいで、「人前に立つと涙が出そうになるくらいシャイだった」のだそう。オランダでのエピソードを聞くと、クリニクラウンになったことで田中さん自身も大きく変わったのだなぁと思います。
インタビューの最後に、これからの思いを伺いました。
「今って社会の中に笑いが少なくなってきている、ユーモアもそうなんですけど、僕はもっと増えてもいいと思うんですよ。ポジティブな考え方がしずらい子って沢山いてると思うんです。そんな子達にもクリニクラウンのことをもっと知ってもらいたいなって思うんです。なんならクリニクラウンの存在を小学校の授業の一環に入れてほしいくらいで。コミュニケーションの授業として道徳の時間あたりに必須で(笑)」。
クリニクラウンであり、リハビリテーション専門学校の作業療法士の教員、そして一児の父でもある今の田中さんがあるのは、日々の努力があってこそ、ポジティブな発想と負けん気で、積み重ねてきたからこそだと思いました。
このインタビューを通して、こどもを持つお母さんには、クリニクラウンひとりひとりの人間性。こんな風に考え、こどもたちと関わっているんだよということ。これからの日本に生きるこどもたちには、人との関わり方とか、遊びや考え方といったクラウンの素質を「笑いのスパイス」と一緒に味わってもらえたらいいなと私は思いました。
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田中裕二
1980年生まれ、大阪府出身。
20歳の時に、映画パッチアダムスを見て感銘を受け、福祉の世界へ。関わる対象者全てに笑いに溢れたcare、笑いに満ちたcureをするために作業療法士を目指し、現在は作業療法士養成校の教員に従事している。2009年にクリニクラウンの認定を受ける。2015年、クリニクラウンオランダ財団視察研修へ参加。入院中のこどもたちにユーモアと笑いを届けたいと、クリニクラウンとして全国の小児病棟を訪問している。
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<ライタープロフィール>
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和歌山生まれ。大阪育ち。
ボランティア活動は子どもの頃から、出来る範囲で参加型。
仕事は広告制作会社にて日々奮闘中。
今回のライターボランティアには、文章の勉強をしたいなぁと考えている時に、
ちょうど、北区民センターで『つながる編集教室』の広告と出会い、 自分の為に参加しました。