東北支援事業経験が、”今”を乗り越える力に~10年をふりかえって~
震災直後、「計画停電で電車のダイヤも乱れている。でもクリニクラウンに来てほしい」と関東の訪問先から連絡をいただきました。クリニクラウンの訪問後に「日常がもどったみたいでほっとした。」「節電のため薄暗い病棟の中、こどもたちの笑顔と笑い声はご家族や職員のみんなに元気をくれました」という感想をスタッフからいただき、クリニクラウンの役割や意義を改めて考えるきっかけになりました。
スタッフの方の声に後押しされる形で、2011年3月24日に東北大学病院の先生にメールをおくるとすぐに返信がかえってきて、「病棟で被災したこどもたちの中には、廊下でうずくまって動けない子どももいた。クリニクラウンの訪問は大きな支えになると思う」と。これがきっかけとなりクリニクラウン東北支援事業がスタートしました。
私たちが当初考えていたのは夏ごろだったので、こんなにも早い時期にクリニクラウンの訪問を検討してくださったのは、クリニクラウンに対する信頼と期待からだと思いました。その気持ちに応えたいと4月に夜行バスにのって東北へ。
そこから10年。
振り返ると、当時の大変な状況の中、こどもたちの心のケアということを考え受け入れ体制を作ってくださった病院のスタッフの皆様に本当に感謝しています。
そして、迅速に東北支援活動を助成していただいた「タケダ・ウェルビーイング・プログラム※」や、継続してクリニクラウンの活動を応援してくださった武田薬品工業株式会社をはじめ、多くの企業・団体や個人の方々がいたからこそ、10年間継続して活動することができました。本当にありがとうございます。
当時、状況についてヒアリングすると、「ガソリン不足で、家族の面会や外泊の機会が減少している。」「移植や検査、手術予定が中止、延期となり家族がやり場のない気持ちを抱えている」「言葉で表現できない子どもは、緊張ではいてしまったり、固まってしまったり・・・」「こどもたちが理由もなく泣き出したり、表情が乏しくなったり。笑顔がなくなった」「こどもも保護者もかなりストレスを抱えている」「病院が倒壊するかもしれないという状況で、NICUの看護師さんたちは、地震がまたあっても逃げないと言っていた。だからそのNICU病棟にクリニクラウンが訪問してほしい」「地震以降、総室のカーテンを開けていることが多く、こどもたち同士の会話が増えた。人と関わりを持つことで安心感を持っているんだと思う」ということを話してくださったことが今でも鮮明に覚えています。
今、コロナ禍、入院中のこどもたちが置かれている状況はどうなんだろう。
行動が制限されストレスフルな状況だからこそ、人とのつながりを感じる機会をつくりたい。しかし、感染のリスクから病院へ外部から関わることがなかなかできない。そんな状況だからこそ「クリニクラウンが応援しているよ!ひとりじゃないよ!大好きだよ!」そんな気持ちをいろいろな形で伝えていくことが大切だと思い、この1年クリニクラウンWeb事業を立ち上げ、みんなで走り続けてきました。
コロナ禍が、長期化する中、「今できることを」小さな一歩から前を向いて進んでいくこと、やり続けることの大切さを知っているのは、東北支援事業の経験があるからかもしれません。
これからも病気をかかえるこどもたちや家族、そしてそれらを支える医療スタッフのみなさんがちょっとでも笑顔になれるそんな「こども時間」を皆さんと一緒に届けていきたいとおもいます。
認定NPO法人日本クリニクラウン協会 事務局長 熊谷恵利子
クリニクラウン東北支援事業報告書(2012年9月発行)はこちらからご覧ください。
※「タケダ・ウェルビーイング・プログラム」
https://www.takeda.com/ja-jp/CSR/activities/child/
タケダ・ウェルビーイング・プログラム」 は、特定非営利活動法人市民社会創造ファンドとともに、長期にわたり病気療養する子どもとそのご家族をサポートする市民活動を応援するために、2009年度に立ち上げた第1期(2009〜14年)、第2期(2014〜19年)を通して10年間継続される長期支援プログラムです。